朝からかんかん照りで暑い。ならば大汗をかいて体中の毒素を出してやろうと庭の草刈を始める。今月は村の公民館の土手、漁協の釣り堀の周り(地元漁業協同組合の理事をやっている)、村の財産区、ダリの散歩道の草刈と転戦してきたが、庭はもう1ヶ月も放っていたので正に草ぼーぼーである。3時間の激闘で河原を除いてほぼ刈り上げるが、数年前から河原から我が家の庭にまで侵出しだしたアレチウリという棘のあるつる草は草刈機に絡みつくばかりで手に負えない。手で抜くしかないようだ。そんな激闘をやっていたら青大将を見つけた。奴も暑さで参っているようだ。この辺では青大将とシマヘビとヤマカガシがいるが、マムシは見ない。カメラを取りに家に入っている間にいなくなった。
ヘビで思い出した与太話がある。 学生の頃、夏の虹芝寮(谷川岳にある山岳部管理の山小屋)の裏でマムシとちょくちょく遭遇するようになった。噛まれてはかなわないので、登山口近くにあった「谷川山荘」というラーメン程度しか出さない食堂の親爺を訪ねて「小屋の裏のマムシを捕ってくれないか」と頼んだ。この親爺、ちょっと怖い顔をした小男だったが、「小屋の近くで捕っても良いのかい」と嬉しそうな顔で言う。小屋の周りのヘビは普通はネズミ除けになるから捕らないのだが、マムシは困る。翌日、麻袋と二股になった杖を持った親父が1時間の山道を登って来た。小屋の裏のガレ場に案内すると「こりゃあいい臭いだ」とニヤッと笑いながら、10匹ほどのマムシを1時間足らずで捕まえて、「帰りに寄りな」と麻袋を担いで下って行った。それから数日して山を下って「谷川山荘」に寄ると、親爺が食堂続きの居間に上げてくれた。上がってぎょっとしたのは、6畳ほどの部屋の三方に数十本のマムシ酒の一升瓶がずらっと並んでいたことだ。一方の瓶は完成したマムシ酒、もう一方は酒が入った瓶の中でまだ生きているマムシ、そして最後は先日捕まえたマムシの糞を出させる為に水が入った一升瓶の中でうごめくマムシ。「ビールでも飲めや」とマムシに囲まれた部屋で聞く親爺のマムシの話で寒くなった。食堂と居間と二間しかない家のどこで寝るのか聞くと、「ここさ。だから母ちゃんに逃げられた」と笑っている。土産に1本持って行けと言ってくれたが深く深くご辞退申し上げてそそくさと土合駅に向かった。
この話には後日談があって、その年の秋だか銀座の三越前の歩道で人だかりがしていたので覗き込むと、菅笠を被って蓑を肩から掛け、キセルを咥えた男がガードレールに寄りかかってうつむいて座っている。その前にマムシ酒が入った一升瓶が10本ほど並んでいて、横の段ボールには『マムシ酒 1万円』と汚い字で書いてある。どうも見覚えがある。それにしても菅笠と蓑とは可笑しい。「こんちは」と声を掛けると最初戸惑っていたが、ニヤッと笑うと「オメー、やけにすかしているじゃないか」と言う。「親爺さんこそ」と言うと、またニヤッと笑って小声で「華の銀座の商売道具」と笑う。「売れる?」と聞くと素っ気なく「売れね」と笑う。人だかりに見つめられながら暫く話し込み別れた。その後、卒業して谷川岳から足が遠のいたのか、或いは「谷川山荘」を廃業したのかあの親爺とは会った記憶がない。もう廃屋となった「谷川山荘」を見た記憶だけがある。