雷三日というが昨日に続き今日も午後から雷と豪雨。慌ててパソコンのコンセントを抜く。普段デザインにはパソコンは使わぬが、現在やっている看板のデザインにはお店のオリジナル・フォントやロゴがあり、どうしてもパソコンを使わざるを得ないので昨日同様に午後は仕事にならない。小学校の頃の夏休みが終わる8月下旬、まるで手つかずの宿題に親に叱られながら机に向かっていると必ず雷雨がきて停電となり、泣きたい気分だったことを想い出す。あの頃は東京でも停電は年中だった。ダリはすっかり怯えて犬小屋に入って顔だけ出していた。
雷で怖かったのは28〜29歳の頃、たしか滝谷のドーム中央稜を登っている時だった。中央稜はどうせ順番待ちだからとそれを嫌って午後になってから取り付いたのだが、後1ピッチだか2ピッチのところで雷に捕まった。雷は上から来るのではなく山では真横で雷鳴を轟かす。当時は私のオツムもフサフサしていて長髪とまではいかずとも肩に届くほどの髪をしており、ヘルメットからはみ出した髪が全て静電気で引っ張られた。そこら中の岩壁にジグザグに青白い光が走り、岩にしがみついた指先からは青白い電気が放電していた。小さなテラスでパートナーの京大10年生?の中村のタッチャンとセルフビレイ用のハーケンにしがみついたまま雷鳴と豪雨と落石の音に生きた心地がしなかった。雷が去っても暫くは耳が聞こえなかった。その中村のタッチャンは翌年、上高地に向かい車を運転中に居眠り運転のダンプに正面衝突されて28歳で亡くなった。
夜、山岳部の後輩の佐藤勝君からメールが届く。彼は長野県山岳協会・信濃高等学校教職員山岳会がこの夏に遠征した中国の未踏峰ヤズィックアグル峰6770m登山隊に信毎の記者として同行。4日に遠征隊員全員と共に初登頂に成功、頂上で母校の旗と山に逝った3人の同輩の写真を掲げた元気そうな彼の写真が添付されていた。おめでとう!よかった、よかった。