先日『樹木希林の骨董珍道中』という番組をBSでやっていた。京都東寺の骨董市を見て回ったり骨董収集家のお宅を見せてもらったりの番組だったが、最後に樹木希林氏のお宅が映った。リフォームされてはいたがコンクリート打ちっ放しの部屋で、そこにもう30数年前に作った私の照明器具が今でも使われていた。
30年数年ほど前、独学でステンドグラスを覚えて色々作っていたけれどまだ売れず、月に10日ほど私のゼミ教授カトウさんの小学校時代からの無二の親友、松本のペンキ屋のモモセさんの所に泊めてもらっては松本平でペンキ塗りのアルバイトをしていた。そんな折り、高校時代の同級生のジュン君から電話があり「仕事ある?」と聞かれ「まるで無し」と答えると「じゃあ今度上京したら仕事くれそうな僕の知り合いをあちこち紹介するよ」と言ってくれた。その当時ジュン君は東大法学部のドクター3年生だったけれど、歌を作ったり小説を書いたり何かわけの分からないことを色々やっていて、その交際範囲は政財界から芸能界までとにかく広かった。で、上京すると2週間朝から夜中まで彼の車で都内中を走り回り、何十人もの人を紹介してくれた。その中に女優の風吹ジュンさんがいて、持っていた卓上ランプを見て気に入ってくれた。翌日彼女が所属していた事務所に連れて行ってくれたのだが、その事務所の社長が樹木希林さんだった。事務所の2階が住居となっていて、コンクリート打ちっ放し、床は黒御影石、窓枠は赤というモダンな住居だったが、どういうわけか照明器具が全てロココ調で希林さんの言うようにイマイチちぐはぐだった。「貴方だったらこの部屋の照明はどんなのが似合うと思う?」と聞かれ「コンクリート打ちっ放しで寒々しい感じがするので、海のなかから太陽を見上げたような感じに光りと影で演出する」と答えたら「家中の照明器具をぜぇ〜んぶ作って」と、ものの5分も話さないうちに初めての大きな注文をいただいた。
それがきっかけで希林さんや彼女のマネージャーのイトウさんには随分とお世話になった。ある時には「御馳走してあげるから遊びに来ない」とのお誘いにノコノコ伺ったらお見合いさせられたこともあった。故あってお断りしたのだが・・・京都での初個展時には案内状に私の作品の紹介を書いて下さったり、京都まで来て下さってオープニングにはスピーチもして下さった。30数年経っても使って下さっているのを見て嬉しかった。随分とご無沙汰してしまったが、当然希林さんの方向にも足を向けて寝てはいない。
その後も風吹ジュンさんが女優仲間を紹介してくれ、幾人かの女優さんから仕事をいただいた。向田邦子氏も台湾へ出発する少し前に紹介してくれた。帰ったら照明器具やステンドグラスを作って欲しいと頼まれていたのだが残念であった。風吹ジュンさんとは歳も一緒で気安かったのか、女優さん一人ではなかなか行きにくかった小劇団や、もう死語となったアングラ劇団などを観に一緒に行った。彼女の結婚パーティーでは「女優さんと一緒の席にして」との頼みに、いしだあゆみ氏・加賀まりこ氏・加藤治子氏・八千草薫氏などと同じテーブルにしてくれ、帰りにはそっと封筒を手渡してくれた。「わざわざ遠くからごめんね」との手紙と私の懐を気遣っての交通費が入っていた。やはりご無沙汰しているが勿論足を向けて寝てはいない。