世の中ゴールデン・ウィークとなったようだが、こちらに住んでいると今が一番美しい時期とあって出掛ける気にはならない。朝散歩にダリと森を歩く。スミレやニリンソウ、唐松やカワラヤナギの新緑が綺麗である。スミレの写真を撮ってから、ふと足元を見てギョッとする。どうも此奴はいけない。マムシ草である。この辺にはマムシはいないのだが、形状からしてヘビに見えるし、色も模様も正にヘビである。此奴は成長すると鎌首まで開くし、秋には毒々しい赤い実までつける。マムシ草とはよく言ったものである。森を抜けて甲斐駒を仰ぐ。北面は雪がべっとりである。GWが終わったら何処か登りたいと思う。
散歩から帰って新聞を開いたら、白馬大雪渓の雪崩で一人が行方不明。他のパーティーの数人も埋められた可能性があるとデカデカと出ていた。昨日の天候下、どのような判断で大雪渓を登ったか分からぬが、やはりかなりのリスクがあったと思う。
72年、今は北海道で酪農をやっている山岳部の1年先輩のヒラオさんとGW直前に杓子、白馬、雪倉、朝日から小川温泉までスキー縦走したことがあった。猿倉から入山初日の夜中、小日向のコル近くだったと思うが大きな岩の下でツェルトを張って寝ていたら上から新雪雪崩が来た。幸い何も失わずに済んだが肝を冷やした。あの当時はアタック・ザックと呼ばれた現在の標準的縦長ザックは既にあったが、アイゼンは8本歯、スキーのビンディングはカンダハに革製の山靴であった。杓子から白馬鑓を往復後、白馬を超え、雪倉の避難小屋でヒラオさんの雪盲(前日、サングラスの片方のレンズを割った)や吹雪での2日だか3日間の停滞後、朝日岳でビバーク、北又谷に掛かったワイヤーを渡って猟師小屋に1泊、小川温泉まで長い林道を歩いた。食料は朝は自家製パウンド・ケーキ1切れ、昼は飴玉、夜はインスタント・ラーメン1人1個かアルファー米1袋を2人で分け、おかかを掛けて食べた。まだ大学2年でさすがに腹が減り、小川温泉に着いた時にはカツ丼と親子丼とラーメンをいっぺんに食べた。
雪倉の避難小屋では某大学山岳部と一緒になったが、朝日に向かう朝、まだ暗いうちから朝飯作りにうるさい。我々より2時間以上も早く出て行った。我々はと言えば紅茶を湧かしてパウド・ケーキ(これはワタクシが自宅で、砂糖やバターや卵、ナッツやドライ・フルーツを山ほど入れて作った特製である)を食べたらおしまい。10分もあれば済んだ。小屋の外に出てみたら某大学山岳部が馬鹿でかいキスリングにスキーでまだ数百m下にいて新雪にコテコテ転んでいる。数分で追いつき彼等の真横を滑ったら、某大学山岳部のリーダーが「馬鹿やろー、追いつかれてしまっただろうが!さっさと立て!」とストックを振り上げて部員を怒鳴っていた。あの頃の一部の大学山岳部は完全な縦社会。恐ろしかった。
あんな楽しい山行をもう一度やってみたいものである。