牧草地に向かってダリと散歩に行く。平な砂利道を歩いていたダリが突然前足を滑らせてつんのめり、顔の右側を地面に擦りつけて乾いた土で茶色となってしまう。それを人様に見られた恥ずかしさにうつむく。武士の情け、一瞬目を逸らせてやる。ダリは草に顔を擦りつけて落としているが、まだ顔は茶色である。払ってやるがその後のダリの落ち込みようは見ていて憐れをさそう。
自尊心を傷つけてしまったようだ。あぁ、自分もいつか、否、近い将来ああなるのだろう。年は取りたくないものである。
それにしても人様は、『国民の為に』と政治屋が自らを縛る為の憲法を変えようとしたり、どこぞの市長が人権無視・女性蔑視発言をしたり、どこぞの知事が五輪招致でイスラム批判をしたりと余りに馬鹿馬鹿しく恥知らずな発言を続け、「言い訳」「居直り」「撤回」等々「恥知らず」である。ま、肉体的『照れ』『恥』ではないのだが、それにしてもお犬様の方がよっぽど「恥を知っている」ように思えてくる。
と、ここまで書いたところでカミサンの先輩であるノリマツさんから、山陽新聞に載った『坂田 明著 ミジンコ大全』の書評がFAXで送られてくる。
「坂田明はミジンコを見て物を考える人間、人間とミジンコがつながる世界認識を持って生きている人であり、その命と私たち人間の命はつながっている」と名言している。坂田明には「ミジンコ愛に擬人化の要素がまるでなく、生物を擬人化して寄せる愛着は、結局は人中心の世界観だが、坂田明はただ人も生きている。ミジンコも生きていると言っているのだ。」との書評であった。あまりのタイミングに笑ってしまう。「ゴメン、ダリ。」
「ミジンコ大全」はムスコから回って来ているのだが、まだ読んでいない。仕事が忙しいとついつい軽い本を読んでしまう。ここのところは山本一力に嵌っていた。さてさて明日の東の都への納入(それもミジンコとイカなのであるが)が済んだら、正座して「ミジンコ大全」を読まねば。