ムスメと高校の教師の話をしていて思い出した。ワタクシが高校で習った数学の先生でサイトウ先生という人がいた。この先生は「教師」というより「数学者」であった。黒板に数式を書いて生徒に解かせるのだが、途中で何やら数学的閃きでもあったのだろう、その世界に嵌ってしまうと黒板に向かい我々には分からない数式が延々と並ぶこととなる。これが終業のベルまで続く。全く自分の数学の世界に入ってしまう。この先生、オツムの装飾物は現在のワタクシ同様進化していたので欠如していた。ある時、授業開始のベルと共に入って来たサイトウ先生を見て、クラス中の目が点となり、次に「ぎゃーっ」と笑い出した。何とオツムにまるでビートルズのような『カツラ』を被っていたのである。ところが先生、笑い転げる生徒を気にするでもなく黒板に向かっていつものように淡々と数式を書いていく。ところがこの日も数学的閃きを覚えたのであろう。カツラを振り乱しながら一人黒板と対峙、段々オツムも熱を帯びたのであろうか、突然カツラを脱ぎ捨てると教卓にポンと放り、数式と格闘していた。どっと笑い転げる生徒の声などまるで耳に入らない。で、終了のベルが鳴ると、そそくさとカツラを引っ掴んで教室を出ていった。それ以後「カツラは暑い」と悟られたのであろう、このオツム装飾物を二度と見ることはなかった。こういう旧制高校の名物先生みたいな先生に出会えたことはサイワイであった。まだご存命なのであろうか。
ところでワタクシのオヤジも数学教師であった。故になかなかに変であったが、彼の戦後直ぐの大学時代の数学科の仲間はもっと変な人が多かった。ワタクシが学生の頃、正月によく家に5〜6人の変人が集まっては飲んでいた。ある人は九州の高校だか大学の先生を辞めて、右の方で有名だった○○舘大学の数学の先生になった初日に入学式か何かでの総長講話を聞いて直ぐ「○○舘大学民主化案」という模造紙大の要望書を貼り出して即日クビ、裁判をやっていた。当時は大学闘争の華やかしき頃である。オヤジが「君、○○舘大学という大学を知らなかったの?」と聞いたら「うむ、ちょっと東京で住んでみたくなったから来たけど、世の中には凄ェ大学もあるもんだ。」とのこと。さすがにこれには集まっていた変人達も呆れた。が、もっと呆れたのは酒席の途中で彼の奥様からの電話に、「そうですか、死にましたか。では帰ります。」とか何とか応えながらまた飲んでいる。再び電話。またまた電話。「帰る、帰る」と応えながらもまだ飲んでいる。オフクロが心配して「何かおありですか?」と聞くと、「何ね、猫みたいにそこはかとなく居着いたお袋がいま家で死んだらしいよ。」とのこと。これにも一同びっくりだが、本人は平然として「何ね、俺はお経が読めるから坊主も必要ないし、何、急ぐことはないです。」と相変わらず飲み続けていた。とにかくメチャクチャな連中で、誰も聞いていなくとも一斉に勝手なことを口から泡を吹きながら喋っている。一人だけ数学ではなく化学か何かでノーベル賞候補になった人がワタクシに向かって「ほらね、数学者って嫌だね。変でしょ。ドモリにチンバに変人だらけでしょ。」と言うのだが、そのご本人すら歩く姿は右手と右足が同時にみたいな歩き方で、おまけに左右別々のとんでもなく派手な色をした靴下を履いていた。ワタクシもカミサンも数学は特別出来も出来なくもなく、ムスコとムスメは全く出来ずに変人にはならずに済んでいることは誠にメデタイことである。
(表現に一部、世で言うところの『差別用語』と言われる表現があることを承知しておりますが、肉体的特徴=差別とする意図はありません。ならばチビ・デブ・ハゲ=『オツムの装飾物の欠如した人』なんぞも・・・)