昼のニュースで藤圭子が自殺したことを知る。ワタクシが最も多感な時期に同世代として『時代』を背負って出て来た歌手であった。当時、演歌は嫌いであったが五木寛之が『怨歌』と呼んだ彼女の歌だけはよく聞いた。iPodに入れている「圭子の夢は夜ひらく」を大きな音で聞いていたら、配達に来た同世代と思われる郵便屋がびっくりしていたので、「藤圭子が亡くなった」と伝えると「えっ。この曲好きでした」と終わるまで聞き入っていた。
彼女はワタクシより1年早く昭和26年生まれだが、2007年だかのインタビューの中で『戦後』という言葉を使っていたことに衝撃を受ける。「戦後の食糧難」だか「戦後の貧しさ」という言葉であったと思うが、16〜7才で上京して初めて白いご飯を食べたという。ワタクシにとっての『戦後』とは、たまに茶色い国電やお彼岸の墓地で会う辛い記憶としてのアコーディオンを弾く物乞いの傷痍軍人くらいであったろうか。そして『戦後』という『実体験』としての言葉はワタクシの自分史の中には殆どなく、後の知識として給食の不味い脱脂粉乳がアメリカからの援助物資だったことくらいであろうか。
「ただ歌うのが好き」で、決して生きて行くことに器用には見えない彼女にとって今の時代は本当に生きにくい時代であったことと思う。