たまたま・・・たまたま・・・お玉ばあさんのことなど

軽トラで郵便局に行こうとキーを回すが、ウンともスンともいわぬ。1週間前には快調に走っていたし、ヘッドライトもバッチリ点く。バッテリーではなさそうである。ジムニーで行き、帰りに郵便局の前の車修理屋のちょっと頼りなげに見えるムスコに事情を話すと「じゃあ一緒に行ってちょっと見てあげる」と言って5Km離れた我が家までついて来てくれて、来るなり車の下に潜り込みこちょこちょとセルモーターのコネクターをいじる。でキーを回すと勢いよくエンジンがかかる。「キャリー・トラックはここの接触不良でよく動かなくなるの」と教えてくれる。ものの1分である。さすが修理屋と感心し、ムスコを見直す。

夜のNEWSで忍者ハットリ君みたいな顔をしたどこぞの都知事が「徳州会」から5000万円を借りていた件について相変わらず尊大な顔をして釈明していた。そこで笑ってしまったのが「たまたま徳田虎雄理事長に合って・・・」「たまたま5000万円の話しがあって・・・」「たまたま返すのが強制捜査後となってしまって・・・」だとか何とか釈明し、「たまたま・・・」の10回の羅列であった。ワタクシにも「たまたま」5000万円を無利子で貸して欲しいものである。

隣の家の猫「たま」に借りに行こうかなと思うが、ダリの宿敵だからアッカンベーされそうであるし、前に住んでいた開拓村の『お玉ばあさん』はもう亡くなった。「たまたま」書いていたらフッと思い出したのだ。この『お玉ばあさん』はもうしわくちゃであったが、昔はきっと美人だったと思われる働き者であった。夫を早く亡くして一人暮らしであったが、いつも畑仕事や我が家の前の広い広い草地(大きい遺跡が入っているので町所有となっていた)の草刈を小さな体に草刈機を背負ってやっていた。「オラ、東京大学は出とらんが、開拓大学は首席で出た」が口癖で、頭の回転が速くて、物知りで冗談や皮肉が上手かった。ワタクシが町会議員選挙をサボって旅行だかして帰ってきたら村出身の候補が落選だか最下位当選の翌日で、村八分になりそうになったことがある。村でも有名な意地悪婆さんが音頭取りであったが、この時に助けてくれた一人がお玉ばあさんであった。意地悪婆さんに向かって「ミンシュシュギちゅうもんは・・・」と大演説をまくしたてて救ってくれた。草刈をやっているお玉ばあさんに「もう昼だから一緒にメシを食おう」と呼んだら、「んじゃ、ちょっと座敷をこさえるで」と言って、広い草地の真ん中を土俵のように刈って二人で青空の下で食った昼飯は美味かった。
昔は皆、水田仕事の時には赤ちゃんを温んだ水田の端っこに下半身を埋めて動けないようにして仕事していたそうだが、何かのはずみでお玉ばあさんの赤ちゃんは窒息死してしまったとのことで、我が家の長男が生まれた時には村では久しぶりの子供でもあり、真っ先に抱かせて欲しいと山程の野菜を背負ってやって来て、涙を流しながらいつまでも抱いていた。もっと昔の話しを聞いておけばよかったと今更ながらに思う。

 

この記事は未分類に投稿されました. このパーマリンクをブックマークする。 コメントを投稿するか、トラックバックをどうぞ: トラックバック URL.

コメントする

あなたのメールは 絶対に 公開されたり共有されたりしません。 * が付いている欄は必須項目です

次の HTML タグと属性が使用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

*
*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください