7月3日、ムスメの旅立ちである。06時、引越し荷物満載のワゴン車、バック・ミラーからは後方は全く見えない。途中豪雨。府中からの渋滞は7Km、漸く高井戸に着いた時にはホッとする。9時半過ぎにアパートに到着。土砂降りのなか、手伝いに来ていたムスコと2階にどんどん荷物を運び、1時間ほどで荷下ろしを終える。早い昼食後、2段ベッドの組み立て。6角ネジを50〜60本も閉めねばならなかったが、電動ドライバーを持って行っていたので思ったよりスムーズに終える。木製の2段ベッドだが、下を収納として使えるなかなかの優れものであった。午後イチで頼んであった洗濯機も届き、ガス屋も来て使えるようになる。隣に住む大家さんに挨拶。随分と防犯に気をつけている様子で安心する。システムキッチンは新品で、収納スペースは広く、またガスコンロは2口とはいえ業務用が入っている。エアコンも新品、天井のLEDは光量調節用リモコン付き。トイレにはシャワレットもついているし、シャワーヘッドたるや豪華ホテル並みの物が付いている。窓ガラスにはUVカットで昼間は外から反射して中が見えないシートが貼ってあるとのこと。勿論壁紙や床のフローリングも張り替えてあり、靴箱の収納量も十分である。まあこの狭いスペースを上手く活かしているものと感心する。おまけに高速ネットが入っていて、使用料は大家さん持ちとのこと。
夕方、3人で引越し祝いに中華料理屋に入って乾杯。カミサンに電話で報告したらダリの様子がおかしいとのこと。きっと寂しがってだろうとそれほど深刻には考えず。
ムスコは早稲田の中南米音楽サークルの練習に参加するとのことで分かれ、ムスメと足りない物を買ってからアパートに戻り、100均で買ってきた突っ張りポールと網で棚などを設置する。
夜はムスコの処に泊まることにしていたので雨のなか高円寺に行き、飲み屋でしばらく飲んでからムスコのベッドを占領して寝る。夜中にムスコ帰宅。
7月4日、朝6時半頃にカミサンから電話。これはひょっとするとと思ったらやはりダリの訃報であった。起きてきたカミサンの顔を見た後、カミサンがダリの朝食を用意しているほんの10分かそこいらの間に心臓が止まったとのこと。もう1泊して片付けを手伝い、夜はヤマダさんとムスメと飲むつもりであったが、急遽今日中に帰ることとする。
ムスコと朝食を摂った後、喫茶店でムスコの近況を聞き、「今日は早稲田でのコンサートでダリの為に吹く」というムスコと別れて阿佐ヶ谷のムスメの処に行く。
ムスメに「家でちょっとエライことが起こた」と伝えると「ひょっとしてダリ?」と言う。
10時頃商店街に行き、シャワー・カーテンやレースのカーテンなどを買い求めて設置。
昼過ぎにムスメの処を出て帰宅。
16時頃に帰ってくる。
ダリはカミサンがダンボール箱をつなぎ合わせて作った棺の中であどけない顔をして眠っていた。ちょっと笑っているみたいな顔である。
7月3日の朝はいつものように散歩に行き、桑の実を食べ、朝食も食べたとのこと。ただなんとなく寂しそうで、カミサンがコーラスの指導に出かける時も寂しそうにしていた由。ワタクシもムスメも昨日からいないし、カミサンも出かけるのを見て、いつものように寂しがっているのだろうと思っていたけれど、昼過ぎに戻ったら元気がなかったとのこと。午後の散歩では桑の実を自分では食べようとしないので手に集めてやっても食べなかったし、散歩も橋の手前までで帰ったとのこと。そしてピアノの生徒が来ても何時ものようには嬉しがらず、じっと座って吠えもしなかったらしい。午後の散歩の時に下痢気味であったので犬缶の肉にビオフェルミンを挟んで一口やったら「しょうがないなぁ、オレもう食いたくないだけど」というような顔をしてほんの一口だけ食べ、オシッコに外に出してやったら3段の階段を登れず、カミサンに抱えられてであったとのこと。
そして7月4日の朝、いつものように座って外を眺めていて、カミサンの顔を見て朝の挨拶を済ませた後に倒れたとのこと。目は開いたままで、自分でもちょっとびっくりしたような顔だったとのことである。
それにしても15歳まで生きたのに惚けて人の手を煩わすこともなく、ムスメの旅立ちを見送ってからフッと逝くなんてやっぱり格好良すぎる死であったと思う。やはり末期の肺癌であったのか、誤嚥性肺炎であったのか分からないし、カミサンが包んだシーツの口のあたりに少し血がついているのを見ると動脈瘤破裂でも起こしたのであろうか。いずれにしても長い間苦しんでではなく、最期はフッと逝ったようである。アッパレな奴である。
森や林や川や大好きな雪の中をリードも無しに毎日自由に走り回れる環境で暮らせたことはダリにとっても幸せだったと思うしかない。
最期を看取ってやれなかったのはちょっと残念だったが・・・アリガトウ!