18日、高速バスにて都に上る。夜は仕事打ち合わせがあるのでワタクシとしては珍しくジャケットや折り目の付いたパンツに革靴、ショルダーバックのまま国会前へ。
学生の頃の70’安保時には名前や身分証明が可能な物は絶対持たず、頭にはヘルメット、常に逮捕されることを覚悟での激しいものであったが、多くの年代の人が自由に、逮捕の恐れもなく参加できる今回の戦争法案反対の運動は今後長く続けていかねばならない運動形態として大変よいものだと感じる。通りに出させまいとバスを並べて警備する機動隊員にもかつてほどの緊張感はなく、仕事の資料や着替えの入ったショルダーバッグの留め金が外れているのを教えてくれたりする。ラップ調のシュプレヒコールなどにも自然に声を合わせて法案反対の意思表示を行う。
数時間後、宿泊先の御徒町のホテルにてシャワーを浴びてから20時に北千住のドクトル・イタバシのクリニックへ。新小岩の新しくオープンするクリニックのステンドの打ち合わせ。なかなか難しいデザインとなりそう。その後、クリニックのヤスさんと3人で中華料理屋にて紹興酒で乾杯。2軒目は御徒町のワイン・バーにてモヒートやウィスキー、ワインを飲み、3軒目は何だかよく分からぬバーにてウィスキーを飲んでドクトルと別れる。ホテルに帰ったのは02時半頃であったか03時半であったか、テレビで戦争法案が可決されたことを報じていた。
19日、さすがに飲み過ぎで体が怠い。ホテルの朝食後、10時に出てムスメの住んでいる阿佐ヶ谷へ。元気そう。部屋は綺麗に片付いていてムスコの部屋とは雲泥である。ムスメの2段ベッドの小改造を頼まれ、それに使う電動ドリルや寝袋なども宅急便で送っておいたのが届いている。昼食を摂りに駅前まで行き、ビールで迎え酒としてやっと体がシャンとなる。その他改造に必要な材料を買い込んでから戻るが当初考えていた改造方法では上手くないことが分かり、応急処置的に直す。夕方、バイトの終わったムスコから電話。高円寺で待ち合わせることにしてムスメと買い物がてらブラブラと高円寺まで歩く。いつもの、中国人がやっている中華料理屋でテーブル一杯に様々なものを頼み飲みかつ食らう。お腹一杯になり、ムスコの部屋にてちょっと休憩後、新しく見つけたという銭湯へ。ムスコは都に上ってから10数Kg痩せたとのことであるが相変わらずガリガリである。ムスメは都に上って初銭湯とのこと。ムスメのアパートに戻り爆睡。
20日。都での用事も終わったが一日都でノンビリすることにする。6時半頃から、工具と共に送っておいたスニーカーを履いてムスメと荻窪まで散歩。荻窪駅前にて朝食後、阿佐ヶ谷までプラプラと歩く。昼過ぎにムスコと阿佐ヶ谷で待ち合わせて回転寿司にて昼食。まあよく食べる。その後サックスの修理に行くムスコと別れ、ムスメとプラプラと買い物。ムスメにスニーカーと秋用のカジュアルなジャケットを買う。喫茶店にてムスコを待つがなかなか修理が終わらないとのことで、ワタクシが小学生の頃によく行った駅から3分の釣り堀へ。金魚釣りをやるがさすがに連休中で人も多く、その上暑くて食いが浅く全く釣れず。夕方、修理の終わったムスコと合流して串焼き屋にて飲むが、店の選択を誤った。不味い!
ムスメの部屋にて手作りの蒸しパンとやはり手作りのあんみつをご馳走になり、ムスコは帰る。どうもマンションの風呂に入る気になれず、ネットで探してムスメと銭湯へ。電気風呂にて感電死するかと思ったが何とか心臓も持ちこたえる。爆睡。
21日。連休とあって高速は渋滞。特急の指定も一杯。面倒くさくなり高尾から鈍行で帰ることにして8時半頃の高尾行きに乗るが結構混んでいる。高尾からの松本行き鈍行に座れるが大月までは結構な人であった。富士五湖にでも行くのであろうか。久しぶりの鈍行はノンビリしていてそれはそれでいいのだが、やはり座席は固く、腰にくる。高尾から丁度3時間で富士見に着き、カミサンの迎えの車に乗る。やれやれ疲れた都であった。