昨年2月に阿弥陀岳で学習院大学山岳部が2名を失うという遭難事故を起こしたのであるが、その事故報告概要と最終報告書の一部をひょんなことからネットで見る。
ワタクシの山岳部の後輩2名も99年正月に鹿島槍で遭難死し、ワタクシが現地に一番近いことから、その捜索や事故検証、報告書作りに1年間をかけたことがあり、辛い思いで読む。
冬になればワタクシのアトリエから樹間越しに阿弥陀岳が見え、ウォーキング・コースは阿弥陀岳に向かって真っ直ぐに登るのであるから晴れていれば否応なく毎日望むことになる。
鹿島槍の事故時、現地対策本部に白馬から最初に駆けつけてくれたOBのカマは、その1ヶ月半後に末期ガンと分かり大町の病院に入院した。見舞いに駆けつけると「病室から鹿島槍の双子峰が見えるんだよな。あの雪の下に埋まっているかと思うと、こりゃ嫌なもんだぜ」と言っていたことをフト思い出す。遭難死した後輩は半年後の6月に雪の下から見つかり、カマは8月に旅立っていった。