カミサンと大阪・倉敷・金沢と旅に行ってきた。
今回の旅はカミサンの合唱団時代の先輩で倉敷作陽大学子供教育学部教授のノリマツさんが、卒業生の発表会で歌うというので是非聴きに行きたいと言い出し、それなら大阪の姉の処にステンドの取り付けもあるし、金沢にいる友人にも久しぶりに会いたいと、ドライブ嫌いなワタクシであるが行く気になったのである。
2月29日、朝大阪に向けて出発。途中の中央道は猛烈に降ったり止んだりと目まぐるしい天気。普段高速道を運転しないカミサンに1時間程代わるが恐ろしいので直ぐに交代。午後2時頃に豊中の姉の家に到着。姪っ子が産婦人科の夜勤を頼まれたとかで東京から来ていて久しぶりに会う。ワタクシはステンドの取り付け。義兄が分子生物学者であるから『ミジンコ』2枚をぶら下げる。
その間にカミサンは芦屋の従兄弟に会いに行く。
3月1日は朝ゆっくり出て倉敷に向かう。天気は良いが結構寒い。信州とは全く違うのんびりとしか言いようのない景色を楽しみながらのんびりと走って倉敷国際ホテルに1時前に到着。フロントの吹き抜けの棟方志功の作品に見入る。昼食を食べがてら散歩し、4時に待ち合わせたコマイさん(現在富士見に家を新築中。元々ノリマツさんがコマイさんを紹介してくれたのである)と3人で新倉敷の作陽大学に向かう。コマイさんはノリマツさんの歌を聴く為に遥々1泊で駆けつけたのである。作陽大学の校舎は吉村順三氏が設計したとのことで、植栽と上手くマッチしたなかなかの校舎である。
発表会はこれから幼稚園や小学校の教師になる若々しい学生達の運営で、なかなか楽しいものであった。プログラムの中程でノリマツさんのソプラノの独唱があったが(高田敏子詩、三善晃作曲 四つの秋の歌)、素晴らしいのびのびとした歌声に背中がゾクゾクする。隣でカミサンは涙を流している。遥々倉敷まで行った甲斐があった。
倉敷に戻ってちょっと食べた後、ノリマツさんを囲んでホテルのバーで乾杯。
3月2日。コマイさんと3人で散歩しながらノリマツさんのマンションへ。昼前の新幹線に乗るコマイさんと別れて、ノリマツさんから「素晴らしい建物の病院がある」と聞き『倉敷中央病院』を見学に行く。昭和初期に大原財団が建てた病院とのことであるが、広々とした受付を抜けるとドーム屋根の植物園のようなホールがあり、ブーゲンビリアまで咲いている。海の魚が泳ぐ水槽もある。レストランのメニューも充実している。建物は古いが内装は新しく、ここなら入院していても気持ち良く過ごせそうである。病院のパンフレットを貰う。 昼食後ぶらぶらしながら大原美術館裏を歩いていたら倉敷帆布の店にムスメの好きそうな真っ赤なショルダーバッグを見つけて購入。
大原美術館は展示作品の多くを六本木の国立新美術館だかに貸し出し中と知ってはいたが、ちょっと残念。収集している絵や工芸品は勿論凄いが、建物がまた凄い。大原家恐るべしである。
喫茶店でコーヒーを飲んで一服後、駅の反対側の三井アウトレットへ。駅前がアウトレットとは如何にと思ったが、これなら集客も出来ると考えたのはなるほどである。チボリ公園よりはましか?カミサンがエディバウアーで半額となったフリースを買ってご満悦であった。
夜は教授会を済ませたノリマツさんが行きつけのイタリア料理屋でご馳走して下さる。どれも洗練された都会の味である。「やるな、倉敷」であった。
3月3日。昨日に続いて朝食は国際ホテルのバイキングであったが、期待していた牡蠣料理は昨日に続いて出ておらずちょっとガッカリ。
9時にノリマツさんを迎えに行き、3人でいざ金沢へ向かって走る。ナビの設定間違いで、山陽道から中国道に入るのが遅れて神戸から中国道に入り、ちょっと戻って舞鶴若狭自動車道に入る。殆どが対面通行であるが、走っている車は少なく覆面パトも見当たらないのでそれなりのスピードで原発乱立方向に向かう。途中に幾つもあるトンネル内の照明は「電気余ってます!」の如くで、とにかく明るい。文庫本も読めるくらいである。昼も過ぎて「蕎麦かラーメン、あるいは北陸の魚」と思って入った『三方五湖PA』にはコンビニしかなく、3人とも大いに憤慨する。おまけに入ったトイレはホテル並みのトイレである。『原発トイレ』と命名する。
やっと北陸道に合流後し、後は金沢まで直ぐである。昔はバイクでよく下道で海沿いを走ったのであるが、高速から日本海はあまり見えずに楽しくない。4時頃に『マイステイズ金沢』というホテルに入るが、その部屋の広さにびっくり。1ヶ月ほど前に金沢のホテルの予約を取ろうとしたのだがAPAホテルか、とんでもなく高いホテルしか空いていない。ウヨクAPAホテルなんぞには絶対に泊まりたくないと色々検索していたらYahooトラベルでダブル・5000円というのを見つけ、2部屋押さえたらナントカ割引で5000円引きとなる。ウンニャ、2部屋で5000円である!2014年オープンの新しい建物と書いてあったが、余りにに安いので・・・チェックインしてびっくりである。部屋は広いしキングサイズのダブルベッド、広い机に座り心地の良いパソコン・チェアー、勿論浴槽も大きくて最新設備である。
一服後、金沢駅前というか駅続きの石川音楽堂へ。駅続きに音楽堂を作ってしまうのだからさすがに加賀百万石である。ここに金沢交響楽団の音楽監督であった故岩城宏之氏のメモリアル展示があり、東京混声合唱団時代にノリマツさんやカミサンは岩城氏にお世話になっていたので懐かしがっていた。
『21世紀美術館』に井上有一の書展を見に行く2人と別れて、ワタクシは友人と待ち合わせ。1時間程あったので駅ナカの飲み屋に入る。ビールとほうぼうの刺身を頼む。駅ナカであるから期待していなかったが、新鮮でまったりしていて旨い。酒は『菊姫の山廃』を頼む。次に地酒の『常さんの山廃』とかいうのを頼むがこの酒もキレが良くて美味い。『赤いかの刺身』を頼んだところで店の親爺が「菊姫の山廃は最近飲む人少ないけれど、どうだ?」みたいなことを聞かれ、「一時美味くなくなったけれどまた美味くなった」と答えると、「これやってみて」と行って農口酒造の吟醸酒をなみなみと注いでくれる。これは美味かった。さすが名杜氏農口氏の酒である。「昔、菊姫を訪ねて農口さんにも会ったことがある」と言うと、親爺は嬉しそうに「これ食べて」と『カワハギのへしこ』を出してくれる。これもいける。駅ナカ、なかなかやる。
友人のイッペイは早稲田を出て金沢に帰り蒔絵師になった男である。学生時代に知り合い、よく一緒に飲んだし、お互い工芸家ということもあり、バイクで金沢に寄った折には泊めてもらったりしていたのであるが、もう30年近く会っていなかった。そう言えば我が家の夫婦汁椀は結婚祝いにイッペイが作ってくれたものであり、まだ毎日使っているのである。久しぶりに会おうと1ヶ月程前に電話した時に、彼が13年前に脳血栓を患い右手が麻痺したままだと聞かされちょっとびっくりしたが、待ち合わせ場所に現れた彼とお互いに直ぐ分かる。右手が全く動かず、ちょっと足を引きずっている。「金沢はおでんの町だ」という彼のリクエストでおでん屋に入る。仕事場で倒れた時の話、「トンビが鷹を生んだ」とからかった東大出の息子は財務省に入り既に結婚したこと、学生時代よく一緒に飲んだ誰彼のこと、2軒のおでん屋で二人で一升以上飲み、話しはつきない。再会を約束してから扇町の彼の家まで送り、奥様にも30年ぶりに挨拶してホテルに11時頃戻る。
3月4日。いい天気だし気温は4月並みである。ノリマツさんが白馬を見たことがないというので、高速を糸魚川で降りて白馬へ。雪が少ない。ちょっと春霞が出ているが真っ白な後立山連邦がくっきりと見え、ノリマツさんが歓声をあげる。「白馬に行ったらここ」と決めている『白馬飯店』にて『エビラーメン』や『五目ラーメン』やチャーハンを頼むが味は変わらずに美味い。食べた後、ちょっと岩岳方面に走り松川の橋の上から白馬三山を写真に収める。それにしても暖かく鹿島槍から白馬乗鞍まで全て見える。
帰り、豊科のモンベルに昨年就職した棟梁の息子のフウタを驚かそうと店を覗いたら、先にフウタに見つかってしまう。元気そうで、すっかり社会人となっている。
4時頃に家に着く。帰った家は冷えていて結構寒く、慌ててストーブをガンガン焚く。
夕食は近所の蕎麦屋『山乃幸』に久しぶり行くが、『山乃幸定食』をまだ1000円で頑張っている。これは手打ち蕎麦に炊き込みご飯、天ぷらに胡麻豆腐、山菜小鉢や味噌汁が付いてワタクシでも腹一杯になるのである。運転ご苦労さんと、ビールと日本酒にモツ煮も頂く。
ドライブ嫌いなワタクシであるが全く楽しい5日間の旅であった。それにしても倉敷の大原家を中心とした文化、加賀百万石金沢を回ってきて、いかにも文化とは懸け離れた富士見町は『信州のチベット』とでも名乗ればと・・・
本日5日。ノリマツさんは朝9時の高速バスで東の都に旅立って行った。それにしてもここしばらくは学生達の発表会の練習に付き合い、自分もあれだけの独唱をこなし(カミサンに言わせると伸びやかな声で表現も現役時代よりもっと凄くなっていて驚いたとのこと)、その上2日間のドライブの後に都に行くのだから、全くタフな人である。
旅の間に背中と胸に発疹が出たというカミサンは病院で帯状疱疹と診断されてくる。運転もしなかった割にはお疲れのようである。