起きたらまた白黒の世界に逆戻りであった。7〜8cm積もっている。昨日庭のフキノトウを採っておいて良かった。
7時前、ピンポンとチャイム。ここ数日急に寒くなったので、こりゃあ近所の90幾つかのお婆ちゃんが亡くなったかなと急いで玄関に行くと、隣のフミアキくんが立っている。「モモコの引越しで名古屋の隣の一宮に行ってきたから」とお土産をくれる。ムスコと同級生だったモモコさんは名古屋の保育大学をこの3月に卒業して一宮の幼稚園に就職することになったとのことである。ハレの話題で良かった。
我が家は農家ではないので、田舎暮らしといっても早朝の来客はめったにない。朝早くのピンポンで近所のお婆ちゃんを思い浮かべたのは、タケトシさんの奥さんのエリコ先生から「いつも気に掛けて下さってありがとうございます。ついてはちょっとお願いがあるんだけれど・・・お婆ちゃんがそろそろ危なくなっているんだけれど、その時には『ご近所』をお願いしたいんで・・・」と先日頼まれていたのである。この『ご近所』というのは本当のところ誰に聞いてもどの家が『ご近所』になるのかよく分からぬ制度なのであるが、その家の誰かが亡くなった時に葬儀を手伝うのが『ご近所』の役目なのである。誰かが亡くなるとその家の親族数人が朝早く『ご近所』を回って「今夜何時に集まって葬儀の段取りをお願いしたい」とお願いして回るのである。そうなると翌日から最低でも2〜3日間は会社員の人は仕事を休んで、無住寺の掃除、紙細工(色々な飾り付け等々を作る)、料理などの準備を『ご近所』5〜6軒の夫婦でしなければならないのである。
これはかなり重要なシキタリ?であるらしく、例えば単身赴任中の人でも呼び戻される程なのである。尤も最近は農協のメモリアル・ホールが出来て、寺の掃除も紙細工も料理もしなくてよくなり、受付やお茶を振る舞う程度の仕事だけになったので、かなりラクチンになったのであるが。
で、先日倉敷方面に旅行に行く時はちょっと心配していた。旅行中に事が起きれば呼び戻されかねない。タケトシさんの家は夫婦とも元教員であったし、そういう意味ではこの辺ではモダンな人であるからとは思うが、『ご近所』がどの家か分からないのが不安の種であった。何というか、こういうシキタリに特にウルサイ近所のお爺さんがいて、この家も『ご近所』である可能性は高い。いや、多分そうであろう。そんなこともあり旅行中は携帯が鳴るとちょっと怖かったのである。サイワイ帰って直ぐに調べた数日分の新聞の死亡欄には名前が無くてホッとしたのであった。