昨日はエイプリルフール。
ま、信じた人も多少はいたみたいだけれど、まだ暫くはこの八ヶ岳山麓におりますので・・・
でも時々考えるのである。富士見に最初の手作りの家を建てて住みだした頃の想いと、38〜39年経った今とでは随分と違ってきている。当時流行った『シンプル・ライフ』ではないが、出来るだけ『シンプル』に生きようと考えていたし、ずっと同じ地に住もうなどとは考えてもいなかった。組織に属さず、家などという持って歩けない『物』に縛られず、もっと自由に生きたいと考えていた。であるから、最初の家は借地(盆暮れの届け物が借地料だった)に、手作りの家を登記もせずに20数年住んでいた。当初はコンクリートを使えば動きにくくなると、木の杭の上に建て、風呂にしたって解体屋で貰ってきた一体成型の物をぽんと床の上に置いていた。
身軽であった。ポンと家を壊せば何時でも移動出来るはずであった・・・
その後、カミサンが現れたり、子供が出現したり、オヤジと同居することから現在の馬鹿でかい家を作ったりと色々続き、いつの間にか身軽どころかちっとやそっとでは動けなくなってきた。組織には属さない生活ではあるが、オヤジやダリがアッチの世界に逝き、子供達も曲がりなりにも独立したとはいえ、今でもクルマは3台なければならない生活、ひねれば直ぐにお湯の出る便利な生活と引き換えに一冬中不凍ヒーターは入れっ放し、何やかやと家財道具も増えた。例え家が全焼したとしても広い布基礎や風呂場のコンクリートは残る家と、色々と重いのである。
来し方行く末ではないが、ワタクシもあと10日程すれば64歳。そろそろシンプルな老人生活を考える時が来たようである。
ところで今日から7年に一度の奇祭、御柱祭である。要するに山から諏訪大社まで8本の巨木を15〜6Km引いていって建てるという素朴な祭りなのであるが、1本の重さが10トンを超え、長さも17mだかのもみの木を人力だけで引き、途中では崖から人を乗せたまま落としたり、雪解け水の流れる川を渡ったりとなかなか大変な祭りなのである。また、その準備たるや大変で、もう何ヶ月も前から『御柱奉賛会』?の人達は巨木の造作や乗り方の練習などで毎週末集まっては準備してくるのである。
で、ワタクシはといえば、昔から『祭り嫌い』であるからしてあまり興味もなく、長く住んだとはいえこの地に生まれたわけではないので『氏子』といわれてもピンともこないので、ひたすら大人しくしているのである。1本の柱を引くには1500人の『引き子』が必要とかで、それぞれの集落毎にバスを仕立てて行くのであるが、ま、この地に生まれ育っても全く興味がないという人もいるらしく、余所者であるワタクシも何となく許されているのである。