やっと終わる

昨日は『どんど焼き』本番。強い寒波で寒い。朝のうちにLPガスボンベと業務用のコンロ2台を借りて来る。午後2時から世話役のカミサン7人は改善センターで豚汁と甘酒作り。男衆は屋台のテント建て。ワタクシは会計であるから来年の会計役と厄投げ用の品(カップ麺・マシュマロ・うまか棒・ポテトチップスetc)や振る舞い酒の買い出し。昔は厄投げ用の品々も沢山集まったし、500円玉のおひねりが飛んだこともあったが、やっぱりこのケイザイ状況、あまり集まらなくなっているのでおかしな事ではあるが組でお金を出して沢山投げるようになっているのである。
夕方、豚汁や甘酒も仕上がり、午後6時半集合として一旦解散。
軽く夕食を食べてから集合。屋台のテントに大鍋2杯の豚汁と1杯の甘酒を運ぶ。

7時頃から三々五々人が集まってくる。サイワイなことに雪が降らずに済んだが寒い。おまけに子供達の間でインフルエンザが流行しているようで、例年に比べ人出も少ない。子供達のどんど焼きに最初に火を入れ、枝に刺した繭玉(米粉で作った色とりどりの餅)を焼いて無病息災を願う。その後厄投げ。カップ麺やスナック菓子などが空を舞う。厄投げが終わってから大人の大きなどんど焼きに火を入れる。ワタクシは振る舞い酒の瓶と紙コップを持ってついで回るが、ヒサハル氏に捕まって寒いので火にあたりながら一升瓶を抱えて二人宴会。ヒサハル氏は同い年。5〜6年前に役場を早期退職して昨年度のタツザワ区の副区長をやっていたなかなかハンサムではあるが呑兵衛。反町長派であり、環境問題に対しての最後の砦となる漁協をえらく応援してくれている。
寒さからか人の帰りも早く、9時過ぎには世話役と消防団(消防屯所の隣)のみとなり、女衆には帰ってもらい、残った豚汁を若い消防団員に無理やり食べさせる。
重機を使って燃え残った芯柱を倒して燃やすも生木であるからそうそう燃えない。
マイナス10数度の中、いくら火の側とはいえ寒いなんてもんじゃない。消防団からは出来るだけオキビ程度まで燃やしてと言われているが木を突っつきまわしてもなかなか灰とはならない。結局世話役7人、もう寒くて無言のまま01時過ぎまで火の番。帰って風呂から上がったのは2時過ぎであった。

本日は吹雪。世話役が9時に集まり1時間程テントの片付けやどんど焼きの芯木を止めるのに使った番線を熾火の中から拾い出し作業。

やれやれ、2年続いた世話役も、あとは会計作業を少々やればやっと終わりである。
それにしても元々は子供主体の行事。何もここまでと思う。子供の行事にクレーンまで使うか?豚汁の振る舞いにしても元々は物好きなオッサンがポケットマネーで始めたこと。近くの集落では当日の午前中にそれぞれの家から持ち寄った竹だの青木をちょちょっと組んで、しめ飾りなどを結わえ付けて完成。後は夜に火を付けて繭玉焼いておしまい。それが本来だろがと言いたくなる。

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