13日。晴れ。朝7時半に出て葉っぱチャンを迎えに霧ヶ峰農場に上る。思ったより雪が少なく9時過ぎには帰って来る。忍君も来て11時前にヨシユキさん宅へ。ヨシユキさんの弟夫婦が磐城から、シゲコさんの弟夫婦が東京からいらっしゃっていた。各々がお別れをした後、持ち寄った軽い昼食をいただく。12時納棺。高校時代は水泳部だったヨシユキさんだが軽くなってしまっていた。両切りピースや入院中に「何か軽い読み物ないかなぁ〜」と頼まれて届けたがまだ読み終わっていない奥田英朗の本、学生時代に立ち上げた演劇集団『クロネコ』の布製ポスターなどを、シゲコさんが庭の花で作った押し花や生花と共に収める。13時出棺。茅野の火葬場にて最後のお別れを各々がした後、荼毘にふす。享年70歳と11ヶ月。
17時前から富士見の八峯苑にて親族・親友20名程で会食。献杯の挨拶を頼まれるが言葉が詰まってうまく話せず。ヨシユキさんがこの15年程飲めなくなってしまっていたので、ウィスキーで献杯する。変な言い方であるが「いい葬儀」であったと思う。
21時頃、八峯苑に泊まる親族と別れ、忍君を家まで送り、我が家に泊まる葉っぱチャンと帰ってくる。
ヨシユキさんの想い出話しなどを遅くまで葉っぱチャンと語る。
14日。晴れ。葉っぱチャン、ここ何年か毎年1〜2月頃にパック旅行で海外に1週間程の旅をしているとのこと。「考えてみたらあと何年かしか動けないと思って、1年間ポツポツと貯めて行っているのよ。パック旅行なんてと思ったけれど、ちょっと足して個室にすれば案外いいものよ」とのこと。いい歳の取り方をしている。さすが葉っぱチャン。
午前中に葉っぱチャンを霧ヶ峰まで送った後、カミサンと買い物をして帰ったらどっと疲れが出る。
15日。晴れ。逝っちまったなぁ〜と思う。
毎週水曜日午後はカミサンのピアノ教室の日。ガキ共がうるさいのでヨシユキさんの家に行って馬鹿話をしていた。お互いの性格から時事問題・昔話・誰彼の話しを「斜に見て」話す。この時間が外にあまり出られない彼にとって大きな気晴らしとなっているとシゲコさんによく言われたのだが、ワタクシにとっても精神安定剤的な貴重な時間であった。考えてみればこの40年間家族を別とすれば最も時間を共有した人であった。
彼らしいいい葬儀であった。オフクロもオヤジの時も無宗教・家族葬でやった。ワタクシの時も家族葬でと言ってある。ヨシユキさんも家族と極々親しかった友人だけでの葬儀であった。ワタクシもそろそろ集まって欲しい友人の人選をしておかねば、と思う。死んでまで会いたくない奴が来られてはたまらない。そういう奴に限って「如何に自分が故人と親しかった」かをアピールしたりする・・・
いっそ、来て欲しくない奴の名簿でも作っておくか。
それから遺影も一応準備しておかねば・・・
ま、財産はないから心配ないが・・・
寂しくなったものである。