水曜日午後はカミサンのピアノ教室でウルサイ『がき』2匹が来る日。キャーとかウギャギャとかの騒音が拙いピアノの音に混じってアトリエまで響いてくるので、前々からこの時間は故ヨシユキさん宅に避難しているのである。ヨシユキさん宅へのこの避難時間におけるバカ話しはお互いにとって善き気分解放の時間であり、彼が昨年末に亡くなった後もシゲコさん相手に出来るだけ続けているのである。
一昨日は3週間ぶりくらいで訪ねる。シゲコさん、今年になってから肺炎で入院したり、先々週は孫からうつったウィルス性腸炎でダウンしたりと体力が落ちている様子。ヨシユキさんに掌を合わせた後、お互いの近況報告や相変わらずのバカ話など。
帰りがけ「良かったらこれ着てもらえない」とジャケットを頂く。素敵な色合いのイタリア製のラフな麻のジャケット。「普段からジャケットなんて買わない人だったけれど、これを見た時にどうしても欲しいと買ったのヨ」とのこと。着てみたら肩幅も袖もぴったり。形見として有難くいただくことにする。
昨日はデザイン、相変わらずすんなりとは描けずにイライラとしていたら、先日大腿骨を折って甲府の方の病院に転院して手術の終わったナカガワさんから電話。元気そうでリハビリをしている様子。
昨夜23時からはW杯サッカー、日本対ポーランドを見る。
プロスポーツであるし、W杯という4年に一度の大会で、ニシノ監督としては『勝つ』ことが義務として課せられることは重いことである。彼も自ら言っていたが究極の選択であったろうとは思う。が、しかしとやっぱりと思う。勝っているチームが残り1〜2分ボール回しをすることはよく見るが、負けているチームが10分もというのは・・・
『侍ジャパン』とか言っていたしなぁ〜。フェアーポイントを目指してのアン・フェアプレー。
ルール以前のモラルの問題か・・・
ひょっとしてルールも知らないのではないかと思われるようなサポーターがユニフォーム姿で「ちっともおかししくない!」とTVで言っていたが、これが逆の立場だったら激怒して「⚪︎⚪︎国は汚ねぇ〜」とか叫んで暴れているんだろうなぁと思う。
ただ思うのは、確かに以前よりは強くなったが、結局は日本の実力がまだその程度であったということでもある。
山の世界では過日、エベレストを単独・無酸素で登る過程をネットで同時配信するとしてコマーシャリズムに乗っていた男が、7400m地点で滑落死亡するという事故があったが、これもどうかなと思う。エベレストは過去7回やっていずれも失敗。8回目だかの今回は格段に困難な南西壁から狙ったようだが、数年前には指先9本を凍傷で失っていて、南西壁を登る力はなかったと言われていて、山岳界では「実力もないのに」と、すこぶる評判が悪いようだ。美談として語る人もいるようだが、コマーシャリズムに乗って、しまいに引くに引けなかったのであろうか。
登る過程をネット中継することで多くの人達に勇気を与えるのが目的と言って募金も募っていたらしいが、そういうの「なんだか安っぽいな」と思うし、それより彼を引き止める親友やスポンサーがいなかったのかと思うと悲しい。
山に登るなんて最も個人的な行為だと思うのだが・・・
かつて、故植村直己氏の山や冒険の資金を心配した政界・財界関係者が寄付金集めの講演会を企画したことがあったのだが、この講演の直後「ただそこに自分が立ちたいだけなのに恥ずかしい、悔しい」と号泣していたのを山の先輩が見て「彼は真っ当だ!」と言っていたのを思い出す。山に対するモラル、自分に対するモラルなど、植村氏や山野井泰史氏に比べ、エベレスト男は対極にいたように思う。
また両足義足の米国人がエベレストを狙いアタックを掛けるが、途中でまだ生きている人を助けずにそのまま見捨ててしまい批判の対象となったことがある。8000m以上には収容困難な遺体が幾つも放置されているが、生きている限り、自らの登頂を捨てても救助するということが山ヤのモラルとしてある。
日大アメフトもそうであるが、スポーツに於いても登山にしても、そういったルール以前のモラルがなくなってきていることは悲しいことであるし、見る者の感動を呼ばない。
まあ、一国の首相が平気で嘘を次々言い続ける時代であるから・・・