都市
ソレハ ユルギナキ全体
絶対的ナ広ガリヲ持チ 把握ヲ許サズ 息ヅキ 疲レ 蹴オトシ
ソコデハ 全テガ 置キ去リニサレテ 関ワリアウコトナシニ ブヨブヨト 共存スルノミ
個ハ 辺境ニアリ
タダ 辺境ニアリ
楽シミハ アマリニ稚ナクテ ザワメキノミガ タユタイ続ケル
コンナ夜ニ 正シイナンテコトガ 何ニナルノサ
如月小春 1980―81・TOKYO
昨日、李静和さんから贈られた「つぶやきの政治思想」を読んでいて、如月小春さんを思い出した。
「あぁ、小春さんがこの本を読んだらどんな風に読んだだろう」と思ったのか、本当にひょっと思い出したのである。尤も小春さんと李さんは「アジア女性演劇会議」で親しくしていたことを李さんから聞いていたからかもしれない。
如月小春さん(伊藤正子)は高校の4年後輩だったが、親父の教え子で、何度か東京の実家に遊びに来ていたので知っていた。
彼女が「NOISE」を立ち上げ精力的に公演を行っていた頃にはワタクシはもう山に住んでいたのだが、上京した時に一度だけ公演を観に行ったことがある。その後、80年台後半か90年台前半だったと思うが、オフクロが入院していて暫く東京の実家に帰っていた時にばったり吉祥寺のデパートで出会い、1時間ほど喫茶店で近況を話し合ったのだが、それから数ヶ月して山に戻っていた時に電話があり「オクズミさんにとって結局、都市とは何だったの?」と聞かれたことがあった。
どう答えたのかよく覚えていないが、『葛藤』という言葉をワタクシが使ったことに随分と説明を求められたように覚えている。
その後、彼女が急逝したことを知った時には、伊藤マリ子(伊藤整次女。1978年没。ワタクシの同級生だった。小春さんは彼女に憧れていた)が急逝した時と同じ喪失感を覚えた。
そんなことをひょっと思い出し、本棚を探すが彼女の戯曲集やエッセイが見当たらない。ムスメが持って行ったのかもしれない。
ネットで「如月小春」と検索したら、今年が彼女が亡くなってから丁度20年と知る。
彼女達が生きていてくれたらなと思う。