鹿肉やらミカンやらが届く

今朝は朝からチラチラと雪が舞って寒い。

和歌山でミカンや梅を作っている姪から鹿肉と猪肉とみかんが届く。経済学部を出た後、HONDAに就職していたが、現在は農学部出身の相方と和歌山で百姓をやっている。自分の畑での鹿や猪の被害が酷いことから狩猟免許を取り、罠猟や鉄砲を始めたとのこと。今年は師匠猟師に習いながら現在鹿5頭、猪1頭を既に獲ったとのこと。そのおこぼれに与ったのである。今回の鹿はほぼ一人で捌いたとのこと。今夜は心してローストにでもして食すことにする。アリガトサン。

今まで時々鹿肉や猪肉を届けてくれた老鉄砲撃ちのコイケマサル氏が先月末に84歳で亡くなってしまった。昨年11月末頃だったかに行き会った時に「元気?」と聞くと「まーまーだわサ」と言っていたのだが・・・その後食欲がなくなり、1月初旬に日赤に行った時にはガンが進行していて手の施しようがなかったと、後から彼の親友であった親方(元漁協組合長)から聞く。

マサルさんとは飲み屋で知り合った。ワタクシは昔から猟師の話を聞くのが好きで、行き会えば何時も猟や山の話をせがみ、彼が若かった頃に北海道や秋田で猟を行なった頃の話や、この辺の山での猟や山菜採りの話しを楽しく聞かせてもらっていたのである。山岳部所有の谷川岳の山小屋である「虹芝寮」の近くにある、国鉄の送電線見張り小屋「東電小屋」の冬期駐在員をやっていた、やっぱり猟師のダンゾウの話をしたら「オイ、そりゃ片品村のダンゾウじゃないかい?頭さ熊に食われて凹んでるんじゃないかい?奴は凄い猟師だぞ。そうかぁ〜、ダンゾウを知ってるんかい!」と懐かしそうにダンゾウの話題で盛り上がったりしたものである。

マサルさんは10年ほど前に奥さんを亡くしてから何となく気落ちした様子で、6〜7年前に「オラ、年取って足腰も弱くなったで鉄砲は止めた。これから家の周りだけで罠だけにする」と言っていたのだが、暫くして少し元気になったのか「鉄砲さ返さなけりゃよかった」と言っていたのだが・・・
鹿一頭分が欲しいと頼んだ時には、元旦に「オーイ、オクズミさん居るか!」と玄関で大声で呼ぶので慌てて玄関に出たら、軽トラの荷台から鹿の足が6本突っ立っている。「一頭でいいよ」と言ったら「ナニ、正月の鹿は足が6本あるんやわ」。「皮と内臓は剥いどいたし、後は捌いてみてくれや」と巨大な量の肉の塊を届けてくれたりしたものである。

何というか所謂ハンターとかでは勿論なく、本物の猟師、鉄砲撃ちだった。
ワタクシも漁協で養魚を担当していた30年近く前に、幼魚が鳥の被害に遭い狩猟免許を取ったことがあったが(養魚池を荒らすのはサギ類で、これは獲ってはいけない禁鳥と知るのだが)、そこに集まる面々が何とも異様な人々と感じられた。勿論サラリーマン系ではなく、どちらかと言えば肉体労働系の人々が多い様なのだが、じゃあ建築系かと言えばそれも違い、何と言うか独特な匂いがあり、どこか普段接する人々とは違った雰囲気を放っていて、どうにも馴染めなかったのである。
その話をマサルさんにしたら「あっ、そりゃオラも分かるわ!殺生するという事を考えねぇヤツに多いわサ」「車から降りて、何か動けば直ぐブツ(マサルさんは撃つ事をブツと言っていた)奴さ。そういう奴に限って直ぐにライフルを持ちたがる。困ったことだわサ」と言っていたが・・・

マサルさんのような本物の猟師は段々いなくなってしまうような気がする。

この記事は未分類に投稿されました. このパーマリンクをブックマークする。 コメントを投稿するか、トラックバックをどうぞ: トラックバック URL.

コメントする

あなたのメールは 絶対に 公開されたり共有されたりしません。 * が付いている欄は必須項目です

次の HTML タグと属性が使用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

*
*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください