目覚めたら真っ白。ザブトンのような大きな雪片がヒラヒラと舞っている。
ブログのコメント欄に京都の女性からのコメント。霧ヶ峰のクヌルプ・ヒュッテの故松浦氏の葬儀の日のブログを読んで下さった方からのものであった。45年前にクヌルプに泊まったことがある方で、松浦氏の想いでを書いてきて下さった。早いもので亡くなられてからもう3年近く経つ。
昼前に「もしもし、オクズミさん?」というご老齢の声の電話。「???」と思ったら「イトウです。伊藤礼です」。「!!!」である。ちょうど礼さんはどうしておられるかと手紙を書いていたところであった。懐かしい。伊藤礼さんはエッセイイスト。鉄砲撃ちの話や囲碁の話、自転車の話、家庭菜園の話などの本を出している。かの伊藤整氏の次男であり、ワタクシの高校の大先輩であり、25歳で急逝された妹マリ子さんは小学校からの同級生であった。おまけに現富士見高原病院、当時は富士見のサナトリウムに長く入院されていたこともあって、可愛がって下さっていたのだが、ここ7〜8年はお会いしてなく、またここ数年は年賀状も失礼していたのである。
先日、NHKのドキュメンタリー『72時間』=(この番組だけは欠かさずに観ている)で歌舞伎町の24時間営業の碁会所をやっていたのを見て、アマチュア棋士の礼さんを急に思い出して手紙を書き始めたところであった。
お互いの近況報告、礼さんは今年米寿!もう腰も曲がって杖を突いてと仰いながら、さすがに車は手放したけれど、まだ家庭菜園も近所に行くには自転車にも乗っておられる由。やっと伊藤整の日記の出版が始まったこと、妹さんのマリ子さんの様々なノートブックに関してなどの話・・・
懐かしい。「面白いムスコさんはどうしているの?」「JAZZを吹いています」「あっそう!ラッパ吹きになったのぉ〜」。「可愛らしかったムスメさんは?」「オーストラリアに行ったきりコロナで帰国できなくなっていて」。「そりゃイイ!羨ましい!」。30分ほども話しただろうか、ほのぼのとした気持ちになる。コロナが収束したら車でお迎えに行きますから!