まだ寒いが

一昨日は大雨、昨日は快晴、今日も快晴予報であるが寒い。昨朝はマイナスでフロントガラスも凍っていた。

そんな中でもスイセンやクリスマスローズが咲き、タラの芽も随分と大きくなった。やっぱり春のようである。

ワタクシも大きくなり?昨日は72歳の誕生日を迎えた。幾人の方から誕生日祝いのLINEやメールをいただき、カミサンはワタクシの大好きなアップルパイを焼いて祝ってくれたが、72回目ともなると特に嬉しくもなく、「あ〜ぁ、よく生きたものだ」と思う。先日の常会の懇親会で某君が「俺は90まで生きる」と言っていたが、ワタクシには全く長生きしようという積極的な思いはまるでない。ま、75歳からの後期高齢者になってからとは漠然と思うが、人間の健康寿命が74歳であるからその辺りまで生きれば十分と思う。

オヤジは肺から下の臓器(胃・大腸・腎臓片方を摘出し、肝臓がんや両大腿骨にもガンが転移していた)の大方を摘出し、食べれば食道〜小腸〜直腸で消化していたが、よく食べ、よく飲み、よく吸って83歳まで元気に動き回って(最後の2年ほどは車椅子であったが)いた。オフクロが亡くなって数年後、こちらでワタクシ家族と同居するようになり、病院もこちらの病院に変わりったのだが、主治医(現在はワタクシの主治医)曰く「人間、内臓なんて結構なくても生きられるもんだなぁ」と感心していた。

オフクロは病気のデパートみたいなオヤジで大変だったと思うが、58歳で卵巣がん発症、その手術中に大腸への転移が見つかり摘出。手術も無事終わり、その2〜3年前にオヤジが大腸摘出していたので「ま、これでやれやれ」と思っていたら、手術の3〜4日後に病院の血液科から呼び出し。何かと思ったら「悪性リンパ腫です。余命2〜3ヶ月」と宣告された。それからが大変であった。当時悪性リンパ腫は「治らないガン」とされていた。
虎ノ門病院の血液科の主治医から「副作用で苦しいだろうけれど、あらゆる抗がん剤の組み合わせでの治療をやってみる価値はある」と言われ、抗がん剤治療が始まった。それから11年、当時の悪性リンパ腫患者の最長不倒を記録して69歳で逝った。1年〜1年半置きくらいに半年程度入院しては過酷な抗がん剤治療を続け、それでも調子良い時には半年近くの海外生活をしたりと、完治ははできなかったが、それなりに充実した治療生活を送り、我々家族も「やり切った」との思いを持つことができた。

そんな両親を見ていると、オフクロの歳はもう越したし、オヤジの83歳を考えると後10年であるから、そろそろアッチの世界の準備をと思うのである。

それにしても先日の常会で62〜3歳のヨシジ君やフミアキ君に「そう言えばオクズミさんは年中ガンや心臓や脳や足で入院しているけれど、ちっとも病人に見えない。オレなんて入院した事がないし・・・」と言われて「いや、オレ常に病人。もっと労わってよ!」と言って笑われたが・・・

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