取り付けに東の都へ

昨日23日は沖縄「慰霊の日」。50数年前の6月17日、ワタクシは沖縄返還(奪還)協定阻止のデモで渋谷近くで逮捕され、杉並警察署に留置されていた。「杉並42号」というのが黙秘していたワタクシに与えられた留置番号であった。当時は大きなデモがあると一晩で1000名近くが逮捕され、都内あちこちの留置場に分散留置されるのであった。17日に逮捕されてから23日間ここに留置され、不起訴だか起訴猶予だかになってパイ(釈放)となった。腹が減って仕方ない年頃、同房のヤクザと賭け(種類の違うちり紙でオセロなどをやっていた)をして、彼の官弁(配られる弁当。基本麦飯に実のない薄い味噌汁とほんの少々の紫蘇の実の佃煮。時々食パンにマーガリンか苺ジャムを薄く薄く塗ったものと牛乳。夕食はコロッケなどが一枚付いた)を取り上げて食べていた。
1日一回10分、外の空気を吸わせる為に金網で囲まれた屋上運動場に出られるのだが、当時家庭教師のバイトをやっていた家が間近に見え、「あぁこれでバイトもクビかな」と思ったものである。サイワイ子供の親父さんで葬儀会社の経営者が(特攻帰りだった人)、「沖縄は日本のものだ。君らもっと頑張れ!」と言うような人だったので釈放後もクビにならずに済んだ。
あれからもう50年以上か。当時の学生にとって、安保改定の6月は政治の季節だったのだが・・・

昨日は作品納入のために東の都のカミサンの旧くからの友人宅に行く。生憎梅雨入りで、天気予報では「警報級の大雨・・・」と騒がれている。朝4時半に起き、6時半にカミサンを乗せて出る。起きた時は大雨だったが、出発する頃には小降りとなり、間欠ワイパーで済む。大雨の中の運転ではと早めに出たので、途中何回かPAに寄り時間調整。10時少し前に世田谷区成城のマンションに着く。
卓上ランプは置いてオシマイであるが、天井取り付けのランプシェード取り付け位置の下地桟の位置がなかなか見つけられない。下地桟の電子式位置センサーを使うとピーピーと鳴るのだが、いざ細い針タイプの位置探しを刺すと天井の石膏ボードを突き抜けてしまう。少し場所を変えても???の連続。そのうちに針が曲がってしまい、使えなくなる。ご主人にお願いして車でホームセンターに連れて行ってもらい、細い千枚通しを買ってきて桟がある場所を確定する。フゥ〜である。

昼食に美味しいお寿司を取って下さり、また美味しい前菜や漬物とノンアルビールも用意して下さり豪華昼食に満腹。

午後、やっと取り付け終わる。
白い天井と壁に予定通りの影を出すことが出来た。
ご夫婦ともに大変喜んで下さり、ホッとする。

16時半頃、ほぼ降り止んだ中、中央道をノンストップで走り、18時半頃には富士見町に帰りつき、中華料理屋でビールで一杯やる。それにしても天気が保って助かった。

夜、カミサンのLineに沢山のランプの写真が送られてきて、喜んで下さっている様子にホッとする。
それにしても良いガラスが入手出来なかったり、コパーテープの入手に時間がかかったり、それにも増して両親指の腱鞘炎や眼の疲れ等々の肉体的衰えで時間が掛かってしまった。
歳である!

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