昨夜はよく眠れた。
今朝は6時前に起床。寒い。アトリエの北側の窓に貼り付けてある温度計であるから若干低く表示されるが、マイナス4℃近くまで下がっている。ファンヒーターを点け、朝のルーティーンでコーヒーを淹れて新聞を読む。シアワセ!
午前中にフミアキ君が「出不足料」の請求書を届けてくれる。昨日は朝8時から財産区出払い作業があったのだが、欠席したので「出不足」となり¥5,000也の出不足料が取られるのである。出払作業では「オクズミさんの足はどうなっているんだ?」「全身麻酔手術して2泊3日で出られる訳ないよ」等々の話で盛り上がっていた由。フミアキ君に抜釘したプレートやボルトを見せると「これが1年以上入っていたの?」と不思議そうであった。
さて今回の「高位脛骨骨切り術」による手術を振り返ってみると、なかなかに面倒臭いものであった。
昨年2月に痛む膝を鎮痛剤で抑えて小さな山に山スキーに行ったのだが、シールをつけての登高は多少の痛みだけで登れ、さて滑り降りようとスキーを吐いた直後に転倒し、そこからどうあがいても脚に力が入らずに起き上がれなくなったのである。「????」である。助けを借りて起き上がったものの、まるで脚に力が入らず、滑るどころじゃない。2〜3回の転倒の度に起こしてもらい、何とか登山道まで下り、そこからは若干の上りをシールで何とか車まで辿り着いたのである。前々から「いずれは手術が必要」と言われていたのだが、騙し騙ししていたのも限界と諦め、整形外科へ。「両足とも膝の内側半月板はほとんどなくなり、関節内の骨と骨が直接ぶつかっての痛みであり、人工関節か高位脛骨骨切り手術しかない」との診断であった。人工関節にすればおおよそ3ヶ月程度で普通に歩けるようになるが、過酷スポーツや正座はできないとの事。一方、骨切り術なら治ればどんな過酷スポーツも可能との事で、これは膝下の脛骨を三角形に切り取り、その部分に人工骨を嵌め込み、今までO脚だった足をX脚に角度変更し、内側の半月板に掛かっていた重心を外側半月板にかかるようにするというものである。但し骨がつくまでチタンプレートやボルトで早くて1年程度固定しておかねばならず、骨がついたらプレートやボルトを抜去するというものである。ワタクシ、自分がまだ「若い」と信じて?高位脛骨骨切りを選択する。
昨年7月7日に高位脛骨骨切り手術を受け、1ヶ月の入院・リハビリを終えて退院。手術は全身麻酔で行うし、鎮痛剤が効いているのか術後の痛みも大したことはない。車椅子か松葉杖でなら病院内を自由に行動出来る。1ヶ月間ノンビリ入院する。 写真上 手術前と後では左足の重心が変わっている
この入院1ヶ月は特に酷い痛みもなく、退院して1週間もすれば杖で不自由なく歩け、1ヶ月半もすれば杖も必要なくなったし、痛みもまるで感じず、人が見れば普通に歩いているように見えるとの事であった。但し自分では片足はO客のまま、手術した左足はX脚というか真っ直ぐだし、当然脚の長さも違ってくるので何となくギクシャクした感じだった。
退院後は3ヶ月おきにレントゲンを撮って骨のつき具合を診てもらうのだが、9ヶ月目あたりから主治医曰く「骨のつきが遅いですね。これはタバコのせいです」と言われる。??? 「じゃあ昔の人は骨折したらつかないじゃない!」。
ま、ワタクシとしてもそうヨイコトとは思ってはいないが、もう71歳である。残り少ない人生、ましてや「路上タバコ禁止」だの「社内禁煙」だのの制約が無い田舎暮らしの自由業である。カンベンシテと言うのがいつわざる心境である。
以下続く。