秋晴れが続いている。家の周りの景色が全て黄色く染まっている。カメラを向けるがどうしても本当の色にはならない。
先日、シュウジさんが岐阜の実家でもいで来た次郎柿を届けてくれる。高校生の頃、生徒会のビラ作りでクボタくんの家に泊まった。当然、ぼく会長、かれ副会長だ。夜、彼の兄貴が酒を飲ませてくれた。兄貴は大学の哲学研究会に入っていて、何やら小難しい議論をふっかけてくる。夜遅くまで飲んでいい調子で寝た。翌朝早くクボタくんに起こされた。「散歩に行こう」という。何でも彼は徹夜で勉強していたとぬかす。だから可哀相に今は東大医学部教授とかいう全くもって肩の凝りそうな肩書きなのである。散歩していたら近所の家に柿がたわわに実っている。「見張ってろ」と言って電柱に登って一個を投げ下ろし、もう一個を口に咥えた瞬間、口中に渋が回った。夕方まで口がしびれていた。それ以来次郎柿しか食わない。
また先日には和歌山の姪ッ子が嫁いだ農園(蔵光農園)から由良早生という品種の温州みかんが届く。
子供の頃は手が黄色くなる程食べたものだが、最近は甘さだけでぼやけた味や、酸っぱすぎる蜜柑が多くあまり食べなくなっていた。これは甘さと酸味のバランスが絶妙である。姪ッ子の義父が大切に大切に育ててきた樹になった蜜柑だが、台風12号の被害で(本当はダム管理による人災のようだが)今年の収穫は例年より随分と少なかったようだ。低農薬だしワックスもかかっていないから見た目はつやつやしていないが蜜柑本来の味だ。
Blogに政治的なことは書かないようにしているつもりだが、今TPP参加問題で混迷している。当然農家は反対しているが、この農家の中でも安全で美味しい米や野菜や果物を作っているプライドを持った農家とそうでない農家があることは今では消費者誰もが知っている事実だ。こちらに移住してきた30数年前、近所の農家に野菜をもらいに行くと「そっちの畑のは出荷用だからそんなもん食い続けたらガンになっちまう。こっちのは消毒してないから大丈夫。」と自家消費用の野菜と完全に分離して作っていることを始めて目の当たりにした時の驚きは今でも忘れない。或いは米を作っている兼業農家の田植えを手伝った時にも驚いた。バイト代に秋になったら米一俵くれと言ったら「こんなもの不味くて食えないぞ」と言ってお金をくれた。自分で作った米は全て出荷して、自分ではお金を出してもっと美味い米を買っているというのだ。「会社忙しくて米なんかに手を掛けられない」とこの兼業農家の主は言った。こんな経済構造に誰がしたのだろうか。
ブランド米に走り、真っ直ぐなキュウリや見た目の綺麗な野菜や果物を求め、臭いからと切り身の魚を買い、今になってから自然農法野菜だエコだと騒いでいる消費者、畑や山を切り崩して作ったゴルフ場経営者、廃液を垂れ流し漁場を殺した企業、巨大化し過ぎた農協、放射能をばらまく原子力発電所、農家を票田としてしか見なかった政治屋共。自らを含めて農業や漁業を駄目にした責任は誰も負わない。そんな中で聞く今のTPPの議論は空疎に聞こえる。どちらにしても『覚悟』をもって選択するべき問題だと思う。
ついでに言えば、いくら防衛費を増やそうが食料も自給出来ない国が「美しい国、日本」になぞならぬことは自明の理である。