JAZZ宴会

チヨヘイさんと「飲もう、飲もう」と言いながらなかなかお呼び出来ずにいたのだが、昨日はムスコも居ることだしと我が家で宴会を開くことにする。チヨヘイさんは現在74才の建具屋さんだが、昔から富士見のJAZZシーンを引っ張ってきた人である。初めてお会いしたのは我が家の玄関ドアを作ってもらいに行った時であるから13〜4年前であろうか。ちょっと傾いた作業場2階でJAZZをガンガンかけながら仕事していたのにはビックリした。それ以来何度かチヨヘイさんが作ったドアにステンドを嵌め込んでいる。ムスコも随分と世話になってもいるし、時々野菜を届けてくれてもいる。

Jackie MacleanのTシャツ姿のチヨヘイさん

Jackie MacleanのTシャツ姿のチヨヘイさん

またチヨヘイさんは凄い曲を作ったエライ人でもある。ケシカランことに皆忘れているが、諏訪6市町村の誰もが知っていて、この曲を聞くと誰もが思わず両手を差し上げて「エイッサ、エイッサ」と叫び出すあの『御柱』の「パンパカァパンァ〜ン・パパパパパァ〜ン」のラッパ曲の作曲者でもあるのだ。何でも昭和50年頃にそれまでのラッパ隊が吹いていたのが「突撃ラッパ」と「行軍ラッパ」であったのだが、神社のお祭りにそれではおかしいと作ったのがあの名曲なのだそうである。ワタクシは『神』ともそれほど親しくしていないので『御柱』が近付いても多くの諏訪人のように『神が頭に下りてくる』ようなことはないのだが、この「パンパカァパン・パカパカパァ〜ン」を聞くと思わず両手を差し上げて前後に動かしながらグーとパーを出してしまうのだ。
ワタクシなど下賎の者はすぐに「著作権登録をしておいたら今頃は・・・」なんぞと思うのだが、チヨヘイさんは「イヤァ〜、本当は木遣り歌で動く御柱なんだけど・・・あんまり広まっちまって、ちょっと申し訳なく・・・」なんてあくまで謙虚なのである。

ここで、声を大きくして言いたいのは何十年も愛され、これからも『御柱』が続く限り吹かれ続けていく「パンパカァパァ〜ン・パカパカパァ〜ン」の作曲者であるチヨヘイさんの名前を諏訪大社はきちんと記録として残し、また諏訪大社氏子ウン万人がきちんと記憶し、せめて富士見町、否、諏訪6市町村の名誉市民として顕彰すべきであると。

で、宴会の方はといえば、ほどよく酔っぱらってからチヨヘイさんやムスコがサックスを吹き、カミサンもピアノ伴奏を始めるというJAZZ・演歌・映画音楽なんでもあり宴会となっていったのであるが、チヨヘイさんのサックスは何とも味わいのある音色なのである。ワタクシはといえば、無芸大食、一昨日の山の疲れが出たのかグラスを握ってウトウトしながらいい気持ちに、であったのである。

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