昨日のこと。
ムスメが一年少々バイトしていた処を辞めて西の都に友達と遊びに行っていたのだが、夜8時半頃阿佐ヶ谷駅に着いたと電話がある。ところが東京駅の階段でコケて、右足の膝のお皿あたりからダラダラと血が止まらぬという。薬局に寄って化膿止め等を買うように伝える。10分後アパートから再度電話が来る。「膝の下の傷口から骨が見える」とのこと。まあよくもスーツケースを引きずって駅から歩いたものである。直ぐにタクシーで河北病院の緊急外来に行くように指示。11時半頃電話が来る。「外科医がいなくて内科医が3人も集まって縫ってくれたが、傷が深くて内側と外側両方縫った」とのこと。「明日は念のため朝イチで外科で診てもらうように言われた」とのこと。翌日(つまり今日であるが)には帰省するつもりだったとのことであるが、縫ったばかりで荷物を持って電車やバスに乗せるわけにもいかない。仕方ないワタクシが迎えに行くことにする。
で、今日であるが、首都高の調布から高井戸あたりがどうせ渋滞するので9時頃に家を出て東の都に向かう。ちょうど渋滞が終わる11頃に三鷹料金所あたりを通過。殆ど渋滞もなく11時半頃に阿佐ヶ谷のムスメのアパートに着く。今朝は外科に診てもらったが、大丈夫ちゃんと縫えていたとのこと。また帰省先の病院で抜糸する場合の紹介状ももらったとのことで、昼過ぎに阿佐ヶ谷を出て、昼食後に多摩霊園に寄る。昨年、大木や笹によって石柵が壊れたので、昨秋木を倒し、今春木の切り株や笹に除草剤を注入しておいたのである。その後見に行く機会がなく、再び木が生えてきたり、笹が出てきたりしていないか大いに不安であったのだが、きれいに枯死していてほっとする。この墓、正面にあるのが祖父母の墓だが、なんでも墓相学の大家にオヤジが相談して建てたとのことであるが、なんせ墓には草木を植えるべからずの墓相で、面白くもない陰気な墓である。オヤジもこの墓は気に入ってはいなかったらしく、オフクロが亡くなった時に「もっとオクズミらしい墓を考えてくれ」とのことで、ワタクシが石屋に「切り出したまんまの石にオクズミとだけ入れてくれ」といって作った墓が左側の墓石である。最初石屋は「そんなの墓じゃねえ!」とか言っていたが、作っていたらそれを見た人から同じ墓石の注文が幾つか来て「あのう、同じデザインのを作ってもいいか?デザインを使わせてもらうのでお宅のは安くするから」と言ってきたので笑ったものである。
あとはもう一度チェーンソーで木をきれいに切り、石柵を積めばメデタシである。
帰りの中央道は空いていて5時頃に帰ってくる。さすがに日帰りは疲れたが、ムスメが西の都で買ってきた百合根たっぷりの『嵯峨野森嘉の飛龍頭=ひろうす』等々の土産に免じて許すことにする。
それにしてもドジなムスメである。