7日。棟梁のシノブ君が薪用の切端を2トンロングに2束乗せて持ってきてくれる。ノウコウソク以来、どうも薪を割る気力なし、灯油で凌ごうとしていただけに有り難い。トラックの荷台で、60cmのチェーンソーでストーブに入る長さに切って下ろしてくれる。
6日。午後原村のヨシユキ宅へ。ヨシユキさんは大学の先輩であり、40年来の友人である。ワタクシが富士見町にきて、テント生活をしながら手作りの家を建て始めた頃に夫婦でひょっこり訪ねてきて「俺も来年この辺に手作りの家を建てたい」とのことで、それ以来我が家を手伝ってくれたり、反対に翌年から始まった彼の家作りを手伝ったりした。そして窯を備えて陶芸をやっていた。それ以来車で10分程の距離、年中会っていた。時には夫婦とワタクシと3人でやる「9ブリッジ」で徹夜したり、飲んだり、富山に一緒に旅行に行ったりの仲であった。15年ほど前に肺がんと分かり、こちらの病院では手の施しようがないと言われたヨシユキさんを、ワタクシの高校山岳部時代の友人でがんセンターの部長医師だったアライ君に頼み込んで手術してもらったりした。
その後も食道がんを手術したりと、ここ15年程は自宅でノンビリしていたのだが、夏以降段々と体調が思わしくなくなっていて、先月からは肺に水が溜まるようになり呼吸も苦しくなっていた。先月末には一度入院し、溜まった水を抜いて2週間程で退院。新しく床暖房が入った部屋で療養していた。医者には年内かもしれないと言われ、食事も殆ど摂れないとのことなのでリンゴを持って6日に見舞いがてら、緩和ケアへの入院を勧めようと訪ねたのだが、丁度来訪した訪問看護師からも緩和ケアへの入院を勧められ、救急車を呼ぶ。
救急車を追走して病院へ。憔悴しきった奥様のシゲコさんと救急外来での診察が終わるまで(CTなどを撮る)の間、様々話す。医師からは全身状態が良くなく、肺に膿胸が見られるが今の状態では抜くことが出来ず、抗生剤を入れるが、と告げられる。
入院したヨシユキさんは痰が切れずに苦しそう。「申し訳ないが明日から取り付けに上京しなければならない」と告げると、ウンウンと手を振る。「必ずもう一度家に帰るんだよ!」と別れる。
7日。バスにて上京。ミド邸に昨年納めたステンドの紫色の泡が弾けてしまったので、その部分の泡をルーターにて削る。シゲコさんからは「リンゴの絞り汁を美味しそうに飲んだ」とのメール。夜、ムスメやムスコといつもの上越泉で風呂。3人で焼肉屋。
疲れていて9時前に寝る。
8日。ムスメと落ち合い、新宿でやはりバスで上京してきたカミサンと3人で昼食後、『カガミダイ』を買ってくれた義母のいる日吉の義姉邸へ。『カガミダイ』は梱包して宅急便にて送っておいたのだが、割れずに無事到着していた。これはムスメとワタクシの第一作なので、義母に買っていただき、散逸せずに嬉しく思っている。義母は肌ツヤもよく、元気そう。
夕方、ムスコのライブがある中野へ3人で戻り、蕎麦屋で一杯やる。7時過ぎに中野のライブハウス「スィート・レイン」へ。先輩のカメジマさんが既にいらしていた。今日はピアノをワタクシの大好きな清水くるみさんが弾いて下さる。ベースの伊地知さん、ドラムの村上さんとも初めてとのこと。
8時からのライブは良かった。今まで聴いた中では一番の出来。清水さんがしっかり支えてくれていて、ムスコはノビノビと吹いている。それにしても清水さんのピアノは自由で音色に富み、尚且つスピード感が素晴らしい。ムスコのオリジナル曲『Coffee Winter』も良かったし、特に後半のフリーではやはりオリジナルの『月と狛犬』や『荒城の月』が良かった。伊地知さんのベースや村上さんのドラムも素晴らしく、このカルテットでどんどんやったらと親バカながら感心したら、ライブハウスのご主人からも再演を頼まれたとのこと。成長したものである。
9日。ヨシユキさん、痰が切れるようになったが発熱が続いているとの連絡。午後からムスコ、ムスメと秋葉原から上野へ歩く。秋葉原は小学生の頃にラジオ部品を探し歩いた町であるが、今はオタクの町。土曜日とあって凄い人出。御徒町で昼食後、アメ横をブラブラ。アメ横会館地下で中国食材店を見て歩く。安い。が、帰るのは翌日だしバスなので生鮮食材は買えず。グリーンカレー・ペーストの1Kgを見つけて購入。その後上野公園を散歩。上野美術館前に400〜500mの行列を発見。なんと「怖い絵展」の入場行列。???何で???本当に日本人というのは『展覧会』がお好きなようで・・・ワカラン。最後尾には「只今150分待ち」との看板を持った係員。
17時前、『上野ライオン』でクボタ君と待ち合わせ。
直前にシゲコさんから「今夜がヤマ」との連絡。
クボタ君、1月早々にロボットによる手術、おまけにお犬様のクロを亡くしたばかりなので励ます?飲み会?。4人で飲む。うん!既にクロの「あと犬」を買ったとのこと。ペットロスを癒やすには新しいペットを飼うことしかない?とのことで、重症のペットロスである!手術後2月には我が家に来る約束をして早々に別れる。
ムスコの部屋に帰ってからやはりヨシユキさんの友人であるPチャンに連絡。直ぐに病院へ行くよう頼む。しばらくしてから「意識がかなり薄れていて・・・難しい」とのPチャンからの折り返し連絡。シゲコさんと娘のナオちゃんが付き添っているとのこと。帰りのバスの早朝への変更をするも7時25分のしか取れない。高速バス駐車場に車を置いてあるので電車で帰るわけにもいかず。眠れず。
10日。バスの中で「0時41分永眠」の連絡を受ける。ヨシユキ宅に来てとのことで高速バス駐車場に置いてある車でヨシユキ宅へ。最期は呼吸も楽になりすーっと眠ったように息を引き取ったとのことで眠っているようである。吸えなくなった煙草を供える。
生前、我が家ではオフクロ、オヤジ共に家族葬としたことを話したらヨシユキさんが「そういうのがいいなぁ〜」と言っていたので、葬儀屋と折衝。なるべくシンプルにと。通夜は行わず、家族・親戚・親友のみで13日に納棺を告別とすることにし、火葬場からホテルに移り偲ぶ会をすることとする。
ヨシユキさん、隣に娘さん夫婦と3歳の孫一家が家を現在建築中。10月にはヨシユキさんの運転でシゲコさんと二人で山梨に1泊旅行。手作りの家の方も床暖にして暖かくなり、シゲコさんの今後にも安心してしまったのだろうか。最近急に気力が失われた感じであった。来年の桜を見るまで頑張れと言っていたのだが・・・
今までアリガトウ!
激動の数日であった。