ワクチンに麻酔科面談

昨日は朝イチでコロナワクチンの7回目。7回もワクチンを打つって?とも思うが、ワタクシ持病持ち?であるから、現代に生きるには、ま、仕方ないか・・・
今回のはファイザー製1価ワクチン(XBB.1.5)というものである。
夜になって注射を受けた左肩に筋肉痛。

午後は19日に手術する諏訪中央病院の麻酔医と面談。全身麻酔であるから術前に説明を受け、承諾書を出さねばならないのである。20分ほどの面談で特に問題はないとのことで終わるが、今回は膝のチタン・プレートとボルト11本の抜去手術で、手術時間も短いのでヒゲは剃らなくても大丈夫との事であった。前回は50年ぶりにヒゲを剃ったのであるが、暫くは鏡に映る顔が自分ではないような変な気分であった。
2泊3日程度の入院であるが、退院して暫くは痛みが続くようなので、その前にそれなりにやっておかねばならない事もある。

1〜2日前から「サボテンがまた咲きそう」とカミサンが2階に置いてあるサボテンを見に階段をバタバタと上り下りしている。今年がサボテンの花の当たり年なのか、それとも天変地異の知らせなのか・・・もう5つ目だか6つ目だかである。
カミサンが草花の生育に関して詳しいとは全く思わぬが、どういう訳か我が家の観葉植物はよく育ち、よく花をつける。週に1遍の水やりと育成剤?の小さなボトルをたま〜に鉢植えに突き刺す程度なのだが・・・カミサンに言わせれば「愛情よ!」と言うに決まっているので聞いてはいないが・・・

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

抜去手術日決定

本日は左膝の高位脛骨骨切り手術を受けてから1年と3ヶ月の検査。11時10分の予約だが、その前に膝のレントゲンがあるので10時半には病院へ。レントゲンを撮って診察に回るが混んでいる。11時半過ぎに診察。「良いですね!固定金属の具合はどうですか?」「歩いていると突っ張ってきて痛みはないけれど違和感がある」と言うと「それでは抜きましょうか?」との事。お互いカレンダーを前に相談するが、11月はカミサンの白内障の手術があり結構忙しいし、12月に入れば師走でそれなりに忙しそうだし、主治医も手術のスケジュールが詰まっている。で、来週19日に入院し、当日に手術し、21日に退院ということで落ち着く。ついでに両手親指の痛みと左足首の痛みも診てもらう。先ず足首に関しては4〜5年前にやはり痛み、違う病院で診てもらったところ『偽痛風』との診断だったことを伝え、取り敢えず鎮痛剤を出してもらう事にする。親指に関しては膝手術前に必要な胸のレントゲンと一緒に撮ってもらい、その他にも血液検査や心電図を撮ってもらう。それらが終わって再度診察。親指に関しては付け根の関節の骨と骨がぶつかっているようで、膝と同様な状態とのこと。手指専門の医者に診てもらいますかと聞かれるが、もうへとへとであるから取り敢えず湿布や塗り薬をもらう事にする。その後入院案内に回り、看護師からの細かな説明を受け、12日に麻酔科の説明を受ける事になるが、午前中には別の病院でコロナワクチンがあると伝えると、それはちょっと主治医に確認しなければとなるがぎりぎりセーフとなる。それから会計を済ませ、入院前の薬剤師からの説明を受け、病院前の処方薬局に行ったのが2時過ぎであった。もう腹ペコで「薬は後で取りに来る」と伝えてラーメン屋へ。ラーメンを食べて薬を貰い、家に着いたのはもう3時半。もうクタクタである。

でもやっとチタンプレートと11本のボルトが抜ける事となる。「3ヶ月もすればスキーをしても大丈夫」とのお言葉であった。山やスキーも2年近くのお休みであったが、さて年明けには登れるのやら?

 

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

脱穀

昨日はイッペイさんの田圃の脱穀。最初は10月3日に予定していたのだが、天日干しの籾の乾きが悪く延期していたのである。

カワゾエさんカワダさんとイッペイさんとワタクシの4人で9時過ぎから始めるが、イッペイさんの田圃の作業も5年目となり、それぞれが作業に慣れているので早い。イッペイさんとカワダさんが脱穀、カワゾエさんとワタクシで脱穀後の藁を束ねて縛る。天気は曇りだが、作業している分には汗もかかずに丁度良い。途中1回の休憩を挟み、13時頃には全て終わる。イッペイさんの自宅脇の広い倉庫の前で野良飯。いつもの豚汁ではなく、今回は自家製里芋と牛肉の「芋煮」に新米のおにぎり。

食後、軽トラから籾の袋を下ろして計量するが、昨年より随分と少ない。2割方少ないとのこと。肥料や天候のせいらしいが・・・

軽量も終わった頃に雨も降り出し、精米してくれていた今年の新米をそれぞれ「賃金」?として貰って解散。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

冬到来

何やかやと雑用に追われながら仕事していたらいつの間にか冬到来となった。

朝5時頃は3℃とか4℃まで下がっていて、夜も寝る頃には5〜6℃位まで下がっている。さすがに寒く一昨日夜、昨夜と薪ストーブを焚く。
カミサンは寒さに強く、ワタクシがストーブを焚こうとすると「そんなに寒い?」と何時もイチャモンをつける。

いやはやつい最近まで「暑い、暑い」と言っていたのだが。

昨日午前中は2ヶ月に一度の泌尿器科に。検尿は問題なしで、「タムスロシン」とかいう、効いているのか効いていないのかよく分からない薬(もう年々も飲んでいるが)の処方箋をもらい、薬局により薬を貰って来る。帰りにシゲコさん宅に寄り、故ヨシユキさんに手を合わせる。「昨夜はストーブを焚いた」と言ったら「エッ、私なんかストーブは勿論だし電気毛布も使っているよ」との事。

帰り道、初冠雪の八ヶ岳を望むいつもの所で写真を撮るが、うまく写っていなかった。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個

伊藤礼氏逝去

一昨日は秋の出払い作業。朝8時に集合し、常会の丁場へ。今日は快晴だが気温が低く、半袖の上に釣り用のゴア・パーカーを着込む。作業は能動の草刈り。1時間で終了。一度帰宅してシャワーを浴びてから11時半に改善センターへ。常会30軒程が集まり先ずは来年度の常会役員決め。来年も何の役にも就かずに助かった。その後懇親会。「お燗当番」が農協で買ってきた刺身や惣菜にビール・酒・焼酎・ウィスキー。コロナで久しぶりの常会の宴会である。
フミアキ君、日本酒を飲まされダウン。2時頃に二人でトボトボ歩いて帰って来る。

昨日朝、新聞を読んでいたら、社会面に「伊藤礼氏」の死亡記事。22日に病気のために90歳で亡くなられたとの事。
伊藤礼氏は翻訳家でありエッセイストである。またワタクシの学校の大先輩でもある。父親は伊藤整氏である。また文才豊だった妹さんの故伊藤マリ子さんとは小学校・中学校の同級生でもあった。
礼氏は若い頃、富士見高原療養所(高原のサナトリウム)に入院していた事から富士見を懐かしがり、40年ほど前に初めて訪ねて下さって以来可愛がって下さり、数年に一度ひょっこりと訪ねて下さった。鳥猟が趣味で、素晴らしい彫刻の入った銃とすばしこい猟犬を飼っていて、一緒に雪の野山を歩いて銃を撃たせて貰ったり、高遠を訪ねたりした。飄々とした語り口で随分と色々な事を教えてくれた。またワタクシの子供が小さい頃はよく子供達をからかったりとホノボノさせてくれた。
ここ何年かはお見えにならなかったが、年賀状は欠かさずに下さり、時にお電話も頂いた。夏前にも電話を頂き、声からはお元気そうであったのだが・・・
テッポウや自転車、碁や自転車に畑(久我山の庭を本格的に耕運機で耕し、農場としていた)と趣味多彩にしてエッセイスト、彼の本が面白くないわけがない。彼のエッセイは全て読んだし、友人が来て「何か面白い本ない?」と聞かれれば、礼さんの「狸ビール」や「パチリの人」「まちがいつづき」や「伊藤整氏奮闘の生涯」などなどを「必ず返して!」と言っては貸していた。最後にいらっしゃったのは長野県と愛知県の境の村のお祭り「霜月祭」を見ての帰りに2年続けていらっしゃった時だっただろうか。「一度一緒に行きましょう」と誘われていたのだが果たせずじまいであったし、お庭の「久我山農場」も一度も伺えずだった。

ああいう洒脱というか飄々とした人はワタクシの憧れの人である。カミサンも「また美しいモノが失われた気がする」と言ったが、ワタクシも同感である。

カテゴリー: 未分類 | コメント / トラックバック: 0個